東京の伝統工芸品東京の伝統工芸品 Traditional Crafts of Tokyo

村山大島紬

むらやまおおしまつむぎ

村山大島紬

着物を熟知した通が選ぶ、江戸の偉大なる普段着。
奄美大島を産地とし、高級絹織物の代名詞として知られる大島紬。
そのブランド名を冠する村山大島紬は、大島紬と同じ生糸を用いた織物で、現・東京都武蔵村山市周辺を産地とする。絹糸を泥染めするなど、手間のかかる大島紬に対し、村山大島紬は文様を彫刻した板で絣糸を染める板締め染色法を確立。大島紬と似た風合いながらリーズナブルな着物を生み出し、広く庶民に愛用された。最大の特徴は、精巧な絣模様である。絣とは、染めた経(たて)と緯(よこ)の絣糸を寸分の狂いなく柄合わせしながら、織機で模様を織りなしていく織物。糸の繊維が感じられる滑らかな手触りを持ち、軽いので長時間着ても疲れない。男性物は絣模様が細かく、近くで見ると緻密、遠目には無地に見えることで、さり気ない趣味の良さを演出する。一方、女性物はデザインが重視され、シックな模様や色合いは着る人の年齢を問わない。知事が認めた伝統的な技術や原材料を駆使し、長さや重さ、傷など、二十八項目の検品をクリアしたものだけに証紙が与えられ、高いクオリティーが保証されている。
主な製造地 武蔵村山市、瑞穂町、昭島市
指定年月日 昭和57年12月24日
昭和50年2月17日(国)
伝統的に使用されてきた原材料 生糸

伝統的な技術・技法

  1. 先染めの平織りとする。
  2. 絣糸は、経糸(たていと)及び緯糸(よこいと)に用いる。
  3. 経糸の絣と緯糸の絣とを、手作業により柄合わせし、絣模様を織り出す。
  4. 絣糸の染色法は、板締めによる。

沿革と特徴

江戸の元禄期(1688-1704)には縞模様の木綿織物が織られはじめ、文化期(1804-1818)には村山絣が創設された。もともとは、縞も絣も南蛮貿易によって日本に入ってきた、南方系の木綿織物の柄であるといわれている。「縞」とは2色以上の色糸で、経(たて)や横(よこ)にもろもろ種々の筋を現したものであり、「絣」とは所々かすったように模様を織り出したもののことである。

それらは江戸時代の町人や農民の手によって育てられ、磨かれていった。

村山産地の木綿縞から村山絣への移り変わりは、木綿織物技術の発達とともに江戸町人文化の発展を背景にしているということができるだろう。

しかし、明治中期以降、他産地で低価格の木綿絣(染絣)が生産されるようになり、また日露戦争後には、絹織物の需要が高まるようになったことから、百年に及ぶ隆盛を誇った村山紬も転換期を迎えた。

村山産地では明治中期から太織縞、黒紬、縞銘仙等の生産が行われていた。この絹織物の技法と長年培ってきた高度な生産技術を基礎に、新しい銘仙の開発が行われた。

その後先進地であった伊勢崎(群馬県)から板締(いたじめ)染色、絣板の製造、経巻(たてまき)等の技術導入が実現し、村山産地の織物は木綿絣から絹織物の大島紬へと大きく転換していった。

そして、今日の村山大島紬の基礎が確立した。

連絡先

産地組合名 村山織物協同組合
所在地 〒208-0004 武蔵村山市本町2-2-1
電話番号 042-560-0031
ウェブサイト http://www.muraori.sakura.ne.jp/